TOMONORI引退記念インタビュー第5弾 / ソムチャーイ高津さん 後編

昨年10月に札幌で行われた格闘技イベント「BOUT-34」。メインイベントでは、札幌出身で日本が世界に誇るキックボクシング8冠王・TOMONORIが、現役生活にピリオドを打った。

MMA-ZENではTOMONORIの輝かしい功績に敬意を表して、全10回にわたる引退記念特別インタビューを企画。第5回はひきつづき、90年代の日本を代表するナックモエとして活躍したソムチャーイ高津氏にご登場いただいた。

高津氏はトレーナーとしてもTOMONORIの入門時から全盛期までを知り尽くした人物。高津氏しか知り得ないTOMONORIの裏歴史とは?マニア必見の爆笑インタビュー後編。

▲取材場所となったタイ料理店プリックで。久しぶりに再会したタイの友人と記念撮影に応じる高津氏。

TOMONORIは勝った試合よりも、負けた試合のほうが美しい

TOMONORI選手の全盛期の試合のほとんどにセコンドとして帯同した高津さん。インタビュー後編では高津さんの思い出に残る試合と、それにまつわるエピソードについてお聞きしたいと思います。まずはこちらの戦績表をご覧ください。

ああ、懐かしいですね。どこからかな、OGUNI GYMに来てからの試合は・・・・。思い出に残る試合はたくさんありますからね・・・・。あっ、そうそう、まずはこの試合ですよ。童子丸選手(元NJKFバンタム級1位)とやった一戦。キングジムとOGUNI GYMの試合は伝統の一戦みたいな雰囲気があって、とても盛り上がったんです。

当時、童子丸選手は未来のキック界を背負うであろう逸材と見られていたんです。だから1Rにハイキックでダウンを奪われたときは、(やっぱりダメか・・・)と思った。でも、そのあと肘でTKOしちゃった試合です。そして童子丸選手に勝った勢いで川津真一選手(元NKBフライ級王者)との試合。これなんて童子丸戦から1ヶ月後ですよ(笑)。

童子丸選手と川津選手は、どちらも屈指の強豪でしたからね。川津選手とは2回戦って2回ともKO負けなんですけど、スポーツライターの布施鋼治さんは、この川津選手との2連戦をベストバウトの一つに挙げてますよ。

わかります。TOMONORIの場合は負けた試合が”いい試合”なんですよね。勝った試合よりも負けた試合のほうが美しい。というか、TOMONORIに勝った選手がTOMONORIのことを高く評価するんです。俺らが思っているよりも高く評価してくれてる。

ほうっ。それは興味深いですね。

2009年に寺戸伸近選手とやって2RでKO負けしてるんですよ。で、俺は試合直後に寺戸選手に「バンタムでもう一回」という話をしたんです。そうしたら「TOMONORI選手とだったら是非やりたい」と言うんですから。

普通やらないでしょう?2RでKO勝ちしてるんですから。少なくとも、その場での即答は避けますよ。でも寺戸選手は「是非やりたい」と即答したんです。この男気には感動しましたね。

ああ、それからこの試合。ダミアン・トレイノー戦。池袋サンシャインでやった一戦です。これもいい試合でしたね。

▲長い時間をかけてTOMONORIの戦績表をチェックした高津氏。TOMONORIの全盛期ともいえる2006年~2008年のほとんどの試合にセコンドとして帯同した。

TOMONORIも斉藤会長と同じでKOが美学なんです

斉藤会長もダミアン戦は思い出深いって仰ってました。当時の大会パンフレットを片手に語っていただきましたから。高津さんはどの試合をベストバウトに選ばれますか?

ベストバウトですか。たくさんありますからね・・・・。いくつか挙げさせてもらってもいいですか?

どうぞどうぞ。

ダミアン・トレイノー戦は間違いなく候補に挙がりますね。それから、高橋拓也選手との2回目でしょうか。日本タイトルをとった試合で、俺も岡山までセコンドで行ったんです。まぁ、TOMONORIとしてはベストバウトには選んでほしくないでしょうけれど。

それは何故ですか?

判定勝ちだったからです。TOMONORIも斉藤会長と同じでKOが美学なんですよ。俺としてはTOMONORIのそういったところが可愛かったし、試合自体もいい試合だったんです。あとはハイキックでKO勝ちした試合・・・。誰とだったかな・・・。あっ!そうそう。松尾崇戦ですよ、松尾崇戦!

松尾崇選手ですと、フライ級の国内NO.1を決めるトーナメント「MACH GO GOトーナメント」の準決勝で行われた試合ですね。

そうです。この試合、1R終了のゴングとほぼ同時にハイキックで倒したんですけど、セコンド陣は誰も見ていないんですよ。

誰も見ていないと仰いますと・・・・?

終了ゴングが鳴る直前だったんで、セコンドとしては1秒でも早く休ませてあげたいと思うじゃないですか。だから皆、イスとかお皿とかを出す準備に入ってて、リング上を見ていなかったんです。

イスを上げるためにリング上に視線を戻したら、相手が倒れてるみたいな感じ。TOMONORIが「やりました!」と言って駆け寄ってくるんだけど、その一瞬を誰も見てないんですよ。会場の応援団はワーッと盛り上がってるんだけど、セコンド陣はだれも見てないから盛り上がれないという(笑)。

幻のダウンシーンですね(笑)。

▲TOMONORI選手が高津氏の”息子”になった2005年の国王誕生記念興行。TOMONORI選手の向かって右側が高津氏(写真はOGUNI GYM提供)

TOMONORIが息子になった日

それから2005年にタイの王宮前広場でやったジャンモ-戦。俺もセコンドで帯同したんですが、じつに楽しかった。というのも、実況アナウンサーが俺と日本で試合したことのあるカノックラットだったんです。カノックラットは日本に来たときに、俺に小さな息子がいたのを憶えていていたんですね。

それで「あのときの小さな息子さんが、今日ここで戦っているTOMONORIです!」とアナウンスしたもんだから、もう笑えちゃって。試合後の祝勝会でその話をしたら一同大爆笑で、TOMONORIは俺のことを「お父さん」と呼んでくれましたよ(笑)。この試合もエピソード的には思い出NO.1ですね。

さすがタイ。アバウトです(笑)。

あとは・・・・、おお、これです!ラッタナデェ戦!国内フライ級を制覇した勢いでやった試合です。初戦は1Rノックアウトで負けたんですが、再戦では逆に1Rノックアウトで勝ったんですよ。この試合も忘れられないですね。というのは、この時期に親父と俺の関係がギクシャクしたことがあるんです。それを和解に導いてくれたのがTOMONORIだったんですよ。

パイブーン先生と高津さんの仲が険悪だった時期があったと。

当時の指導は親父と俺の二人体制が多かった。親父が自分の好きな選手、要するにTOMONORIとかそれに近い素質のある選手ですね。そういった自分の好きな選手のミットだけを持って、残りのジム生のミットは俺が持つみたいな感じだったんです。

でも、TOMONORIって「ミット蹴りバカ」なんですよ。日本人にも多いでしょう?だから、親父にミットを持ってもらった後に、俺のところに来て「ミット持ってください」というときが結構あったんです。

親父はそのことで腹を立てましてね。「なんで高津がTOMONORIのミットを持つんだ。俺の指導に不満でもあるのか!」と言って、俺を責めるわけです。

▲ムエタイ・ショーでムエタイの技術を披露するパイブーン氏と高津氏。パイブーン氏は10年以上にわたりタイのランカーとして活躍していたという(写真はTOMONORI選手提供)

TOMONORIが導いた師匠との和解

なんとなく分かります。トレーナーたる者、素質のある選手は自分だけが教えていたいものですからね。

はい。特にタイ人コーチはそういった気持ちが強いんです。親父も「俺の言うことは絶対だ!」という感じで、自分が教えてる選手が他人に教わることを極度に嫌いましたから。俺もね、

「TOMONORIはミット蹴りバカなんです」
「頼まれれば、無下に断れない」
「親父の指導方針にケチつけるつもりじゃないんです」

と、必死に説明したんですけど許してくれない。しまいにはTOMONORIが俺のことを「高津さん」と呼ぶことにもクレームをつける始末で・・・。

「高津さん」と呼ぶことに対してのクレーム?

親父が「さん」ていう日本語を、社長とか部長とか幹部を指す言葉だと勘違いしてたんですよ。それでいくとTOMONORIは俺のことを「高津社長」と呼んでることになるじゃないですか。それで「お前は俺より偉いのか?社長と呼ばれたからって調子に乗ってんじゃねぇ!」と怒りだしたんですよ。

ハハハ、面白いエピソードですね。

いやいや、いまだから笑い話にできますが、当時は険悪なムードが漂っていたんです。結局、ラッタナデェとの初戦でTOMONORIが負けたのは、親父と俺の仲がうまくいってなかったというのも、責任の一端として感じてるんです。

なるほど、チームとして上手くいってなかったと。それで、和解に至った経緯とは?

ラッタナデェ戦はパンチでKO負けだったんですが、あれは相手のラッキーパンチだったことも確かなんです。だから俺と親父、それからテワリットノーイという元チャンピオンがセコンドにいたんですが、3人とも「もう一回だ!」ということで意見が一致して、斉藤会長に再戦を直訴しようってことになった。でも、俺達が行くより先にTOMONORIが自分で再戦を直談判していたんですよ。

その姿を見て、俺達なんだか感動しちゃって。その時、テワリットノーイが親父と俺に向かって「兄さん達、つまらないことでケンカしてる場合ですか?一致団結してTOMONORIを勝たせようじゃありませんか」と言ってくれたんです。

その一言で、親父と俺が顔を見合わせて「よし、一丁やるか!」ということになった。それからですね、どっちが教えるとか、つまらない事は抜きにして団結したのは。「TOMONORIを勝たせるぞ」ということで、二人で過酷な練習を課しましたよ。いや、過酷なんてもんじゃない。あれはもうアホの練習ですよ、アホの。

再戦の結果は1Rノックアウト勝ち。テワリットノーイさん、いいこと言いましたね。

はい。いまでも親父と俺の二人体制の時代が、OGUNI GYMの最強時代だったって言ってくれる人がいるんです。ありがたい話ですよね。

▲WBCムエタイ・日本統一フライ級のタイトルを獲った大槻直輝選手と共に。大槻選手は高津氏がメイン・トレーナーとして育てた選手のひとり。大槻選手をチャンピオンにまで育て上げた手腕を、パイブーン氏も高く評価したという(写真提供:OGUNI GYM)。

高津氏が選ぶベストバウトはこの試合!

でも、この話には続きがあるんですよ。じつはラッタナデェとの再戦のとき、親父はセコンドにいなかったんです。遠方のジムで指導があって、そこからタクシーで向かっていたんですが、「間に合いそうにない」と試合直前に連絡が入ったんです。

それで、TOMONORIに「親父、間に合いそうにないって」と伝えたんですね。そうしたら彼は「大丈夫です。僕のコーチは高津さんですから」と言ってくれたんです。その瞬間、俺は「ざまあみろ!」と思いましたね、親父に対して(爆笑)。

せっかくの美談が台無しじゃないですか!(爆笑)

いいんです。なんといってもTOMONORIは俺の息子なんですから(笑)。ええと・・・。その次はダーウサミンとじゃないですか?そうそう、ダーウサミン戦ですよ。

タイで行われたダーウサミン・イングラムジムとのWPMFの王座決定戦ですね。高津さんもセコンドで?

行きました。その試合が俺の中では一番のベストバウトですよ。なぜかというと、TOMONORIが完璧にムエタイをやった試合だったんです。ムエタイの採点方式のなかで完璧に渡り合った試合だったんですよ。

試合直前にTOMONORIが、「高津さん、今日はムエタイを楽しみたいと思います。よろしくお願いします」と言ってきたんです。だから俺も完全にムエタイの採点方法で勝つためのアドバイスを送った試合ですね。

ムエタイとキックボクシングでは、採点方法に違いがある。よく聞く話ですね。

TOMONORIがムエタイをやってくれたことが嬉しかった

そのときも3Rが終わった時点で勝ってるのか負けてるのかは、セコンド陣のなかでは俺にしか分からなかった。他のメンバーは勝ってると思っていたようですが、俺は「少し劣勢だから、4Rはいけよ」とインターバルで伝えたんです。

結局、挽回できなかったから最終の5Rも短くなってしまって。他のメンバーは「おかしいだろ!」と騒いだんですが、タイではよくあることなんです。そういったことも全部ひっくるめて、TOMONORIが完璧にムエタイをやった。キックボクシングじゃなくてムエタイをやった貴重な試合といえますね。

キックではなくムエタイをやってくれたことが、高津さんにとっては嬉しかったわけですね。

はい。ムエタイをやりたい選手と、ムエタイをさせたいセコンド。この試合に勝っていれば、ルンピニー挑戦なども含めて可能性が開けたわけですし。そうなったらTOMONORIの人生も変わっていたかも知れない。色々な意味でこの遠征は楽しかったですね。

会場のチャンタナインヨン体育館って、大きな会場だったんですか?

正確には「ナショナル・スタジアム」という名称だったんですが、じつは誰も場所を知らなかったんです。タクシーに乗れば大丈夫だろうと思っていたら、タクシーの運ちゃんも知らないって言う。

結局、「ナショナル」とか「競技場」に関連するタイ語の単語を適当に伝えて出発してみたら、ちゃんと到着してしまった。ほんとに珍道中でしたよ(笑)。

▲高津氏がベストバウトに選んだダーウサミン戦。セコンドには高津氏のほか、OGUNI GYMの近藤彰氏。ラストのインタビュアーは、おそらくスポーツライターの布施鋼治氏だろう。

TOMONORIが最も悔しがった負け試合とは?

試合後の祝勝会でハメをはずした、みたいな面白いネタはお持ちじゃありませんか?

う~ん・・・。そもそもTOMONORIは酒を飲みませんからね。でも、ダーウサミン戦のあとに「試合が終わったら、どこか行きたいところあるか?」と聞いたら「パッポンに行きたい」と言ったことがありますよ。

パッポンといえば言わずと知れた歓楽街なんですが、彼の目的は違ったんです。お土産を買いたかったんですよ。値段の交渉をさせるために、タイ語を話せる俺を利用したんですね(笑)。

でも一番の楽しい思い出は、TOMONORIとのムエタイ・ショーでしょう。

ムエタイ・ショー?

代々木公園のタイ・フェスティバルが有名ですが、その他にも中規模のタイ・フェスがいくつもあったんですよ。そこでの余興でムエタイ・ショーをやってほしいという依頼が結構あったんです。

それで俺が台本を書いて色々なタイ・フェスを回ったんです。ショーのメンバーは俺とTOMONORI、大槻直輝、国分省吾といった面々。だいたい俺の台本はTOMONORIが主役(勝者役)なんですけど、いつだったか俺に対しての声援のほうが大きかったショーがあったんです。

脇役の高津さんへの声援のほうが大きかったと。何故ですか?

会場には家族連れが多かったんです。だから俺みたいなオジサンが登場すると、「お父さん、頑張って~」みたいなムードが出来上がっちゃって、声援がスゴイんですよ。

そうしたら、主役のTOMONORIが「高津さん、俺、こんな敗北感はじめてです」と言って落ち込むこと落ち込むこと(笑)。

TOMONORI選手らしい(笑)。

でも、ショーで一番盛り上がったのはTOMONORIと大槻直輝の対戦ですね。もちろん台本があって勝者は決まっていたんですが、二人ともマジで蹴り合ったんですよ。お客さんもメチャクチャ喜んでくれて。大槻のベストバウトは加藤竜二戦なんですが、それに次ぐベストバウトはあのムエタイ・ショーのTOMONORI戦ですよ。

そういえば、TOMONORI選手は札幌でもムエタイ・ショーをやっていましたよ。ずいぶんと慣れてるなぁと思っていたんですが、その時の経験を活かしているんですね。

TOMONORIのそういった才能はピカ一ですよ。彼はエンターテイナーだから。

▲2010年に上大岡の京急百貨店で行われた、TOMONORI出演のムエタイ・ショー。レフェリー役に高津氏の姿がみえる。

キックを選んでくれて、ありがとう!

世界タイトルを含む8本ものベルトを獲ったTOMONORI選手。ここまでの実績を残した一番の要因を挙げるとすれば、それは何だと思われますか?

簡単に言ってもいいですか?

どうぞ

アホだからですよ。

なるほど。言い得て妙です。

TOMONORIは天才肌にみられますが、全然、天才じゃないですよ。努力家というのは認めますけど、ちっとも天才じゃない。ちょっとだけ天才、かなりアホ。それがTOMONORIですよ。普通は2+2=4になるでしょう?彼の場合は-2×-2=4なんですよ。マイナスとマイナスを掛け算してプラスになるタイプです。アホ×アホでプラスなんですよ(笑)。

引退を迎えたTOMONORI選手に一言贈るとすれば?

TOMONORIの身体能力がハンパないってことは、俺も認めるところです。それだけに、なんでキックボクシングみたいなマイナーな世界に来ちゃったのかなって思うんですよ。

TOMONORIほどの才能があれば、例えばレスリングなんかのオリンピック競技でも十分に実績を残せたと思うんです。レスリングで実績を残してMMAに転向したとすれば、山本KIDとの夢の対決ってことも可能性としては十分にあったわけですから。だから彼に贈る言葉があるとすれば、

「キックを選んでくれてありがとう!」
「OGUNI GYMを選んでくれてありがとう!」
「俺をコーチと呼んでくれてありがとう!」

これに尽きますね。感謝しかありません。

本日は貴重なお話をありがとうございました。

こちらこそ。じゃ、これから〆のラーメン行きましょうか(笑)。

ソムチャーイ高津さんのインタビュー前編はこちら>>

【ソムチャーイ高津:プロフィール】1969年6月16日、神奈川県出身。黎明期のシューティングを経て1989年、OGUNI GYMよりプロデビュー。ムエタイ・スタイルでは日本を代表する選手として活躍。小林聡(元WKAムエタイ世界ライト級王者)、佐藤孝也(元NJKFライト級王者)、桜井洋平(元NKB三階級王者)、笛吹丈太郎(元NJKFウェルター級王者)など、錚々たる面々と激闘を繰り広げた。2004年11月23日引退。生涯戦績は66戦23勝(13KO)36敗7分。うち、タイでの戦績は25戦6勝(4KO)19敗。

ジム・道場データ

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山田 タカユキ

山田 タカユキ

1971年生まれ。おもに格闘技イベント「BOUT」に関するレビュー記事や、出場選手へのインタビュー記事を担当。競技経験は空手・キックボクシング、ブラジリアン柔術。
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