TOMONORI引退記念インタビュー第4弾 / ソムチャーイ高津さん 前編

昨年10月に札幌で行われた格闘技イベント「BOUT-34」。メインイベントでは、札幌出身で日本が世界に誇るキックボクシング8冠王・TOMONORIが、現役生活にピリオドを打った。

MMA-ZENではTOMONORIの輝かしい功績に敬意を表して、全10回にわたる引退記念特別インタビューを企画。第4回は90年代の日本を代表するナックモエとして活躍したソムチャーイ高津氏にご登場いただいた。

高津氏はトレーナーとしてもTOMONORIの入門時から全盛期までを知り尽くした人物。高津氏しか知り得ないTOMONORIの裏歴史とは?マニア必見の爆笑インタビュー前編。

▲OGUNI GYMに飾られているソムチャーイ高津さんの写真。現役時代は佐藤孝也(元ニュージャパンキックボクシング連盟ライト級王者)選手をはじめ、錚々たる面々と激闘を演じた。歴史を感じる一枚。

意外。ソムチャーイ高津は大宮司進のファンだった!

今回はご出演ありがとうございます。現役時代は得意のムエタイスタイルを駆使して、ライト級戦線で激戦を繰り広げたソムチャーイ高津さん。格闘技への入り口はTOMONORI選手と同じく修斗なんですよね。

おや?よくご存知ですね。

Dropkickのインタビューを読みました。両国国技館の興業で本場のムエタイの試合を見て、それがきっかけでキックに転向したんだとか。

黒崎健時先生が打った“神秘のムエタイ・王者の激突!”という興行でした。でも、TOMONORIのスタートも修斗だったというのは初耳ですね・・・。いや、聞いたことあるような無いような。その辺は記憶があいまいです(笑)。

当時の修斗にはTOMONORI選手が活躍できる階級がなかったそうで。じゃ、どうしようかってなったときに、同級生だった大宮司進さんの影響でムエタイに興味をもった、みたいな話をなんかの記事で読みましたけれど。

大宮司君かぁ。俺、大宮司君の大ファンだったんですよ。あの強烈なキャラクターが好きでした。悔しいくらい惹きつけられましたね。

ほうっ。バリバリのムエタイ・スタイルで知られる高津さんが、大宮司ファンだったとは意外です。

桜井洋平選手との試合なんて良かったですよね。本人はあの試合で褒められても嬉しくないとは思いますが、俺としてはすごく好きな試合です。

負けの美学みたいなものですか?

そういうのとも違いますね。うまく言えませんけど、彼は言い訳しないし、潔かったんですよ。俺が女だったら惚れてましたね(笑)。

▲1992年の選手名鑑でルーキー時代の高津氏を発見(右上)。当時はまだ高津広行のリングネームで闘っていた。その隣には、デビュー5戦目の前田憲作氏の姿がある。月刊リアルファイティン 1992年1月号©スポーツライフ社

OGUNI GYM入門は斉藤会長のインパクトが決め手だった

俺の中での幻の名勝負は、大宮司進vs米田貴志なんです。この二人がやれば、お互いの持ち味を存分に発揮できる試合になったと思うんですよね。大宮司が最も輝けたかもしれないカードですよ。

ルールとか契約とか色々なハードルはあったかも知れませんが、実現すればTOMONORI対藤原あらしみたいなインパクトがあった。実現してほしかったですね。

高津さんが入門を決めたOGUNI GYMなんですが、どなたかの紹介があって入門されたんですか?

自分でいろいろ見学して歩いたんです。俺は梶原一騎さんの影響を強く受けていたんですよ。四角いジャングル等の漫画をよく読んでいました。ですからキックはもちろん、極真空手をやろうかなと思ったこともあったんです。

とにかく藤原敏男先生の大ファンだった。でも当時の藤原先生はジムを出してなかったでしょう。だから自分で色々とジムを訪ねてみたんです。山木ジムも行ったし、あとは名前は憶えてないけど、たくさんのジムを見て回りました。

それでOGUNI GYMに初めて行ったんです。ジムの面積でいえば一番小さかったんですよ。でも斉藤京二会長がいらして、「よく来てくれたね」と優しく声をかけてくださって。練習になると会長の表情が一変してスゴイんですよ。当時は会長も現役だったし、なんといっても「四角いジャングル」に出てる人だったから、めちゃくちゃインパクトがあったんです。あの時の見学が決め手でしたね。

▲現役時代は完全なナックモエとして名を馳せた高津氏。得意の肘・膝で玄人ファンを唸らせた(写真提供:OGUNI GYM)

俺の首相撲でファンの視点を変えてやろうと思っていた

斉藤会長の現役時代と、高津さんの現役時代って重なってますよね?

はい。ですから昔は「斉藤先輩」と呼んでいたんですよ。一緒にスパーリングもしましたしね。ボコボコにされたことを憶えています(笑)。

高津さんは現役時代にニュージャパンキックボクシング連盟のライト級1位まで登りつめて、得意のムエタイ・スタイルでファンを魅了しました。とくに首相撲やヒジ・ヒザの攻防は玄人ファンも唸らせましたが、そういった一連のテクニックはどなたの影響が大きかったのでしょう?

まずは親父(おやじ)ですね。親父というのはパイブーン先生のことです(※以下、パイブーン氏のことは親父と表記します)。それからチャイナロン先生(OGUNI GYM初のタイ人トレーナー)ですね。あとは何度もタイに修行に行っていますので、それも大きいです。首相撲の得意な選手とずっと練習していましたから。

とにかくパワーで勝とうとしない、テクニックで勝負する首相撲を意識してやっていました。当時のキックファンは誰も首相撲なんて認めてくれなかったでしょう?だから俺がファンの視点を変えてやろうって思っていました。

そうそう、OGUNI GYMといえばパイブーン先生ですよね。出会いはどちらだったんですか?

タイのフェアテックス・ジムに修行に行ったときです。イングラム・ジムの鈴木秀樹会長と一緒に行ったんですよ。そこでトレーナーをやっていたのが親父だったんです。

当時ですとジムに寝泊りですか?

OGUNI GYMの先輩の青山隆さんが、ムエタイ6冠王のアピデーさんのところに何回か修行にいってて、そのご縁でアビデーさんの家にホームステイさせていただきました。

▲高津氏が「タイの両親」と慕うアピデー夫妻とは、ホームステイ後、日本に帰国してからも親交が続いた(高津氏のFacebookより)。

パイブーン氏との運命的な出会い

フェアテックス・ジムでの練習はいかがでしたか?

鈴木会長はモンリットというトレーナーとよく練習していましたね。俺はなぜか親父に気に入られて。オーソドックスなのに右ミドルばっかりやらされたのを憶えています。

右ばっかり?意外ですね。

俺も最初はムエタイの基本は左ミドルだと思っていました。でも親父は「おまえは右利きなのに、右の蹴りができねえで何ができるんだ」と言って。もう徹底的に右を蹴らされました。右だけで1000回蹴れって言われましたからね。一回の練習でですよ。

それだけで練習終わっちゃうじゃないですか(笑)。

だから全体練習が終わってからやるんです。ペースはゆっくりなんで、3分で50発くらい。6分で100発でしょう?だから、1000発だったら1時間で終わるなって思って蹴ってたんです。当時は、後にチャンピオンになるジョンサナンが在籍していました。彼も練習の鬼でしたから、練習後に残って蹴り込みしてるのはジョンサナンと俺だけだった。

当時のトレーナーは、みんなそんな感じだったんですか?

いえ、親父は特別だったみたいです。別のトレーナーが「おまえ、練習終わってるのに何やってるんだ?」と聞くから、「パイブーン先生にやれって言われたから」と答えたら、「バカ。そんなのやらなくていいんだよ」と笑うんですから(笑)。

でも、それって梶原一騎の世界に通じるものがありますよね。

じつは俺、子供の頃は野球部にいたんです。その野球部がうさぎ跳びをさせるんですよ。当時はもう、うさぎ跳びは身体に良くないって言われてる頃にですよ。でも、俺はそこが好きだったんです。梶原一騎的なところが(笑)。だから、親父の練習方針が性に合ってたんですね。

それに親父の練習は厳しいんだけど、愛情があるんですよ。すごく優しい。1000発蹴ったあとは、いつもマッサージをしてくれましてね。足で踏みつけるマッサージなんですが、あれは最高でしたね。

▲敬愛するパイブーン・コーチと。選手時代はもちろん、トレーナー転身後も多くのことを学んだ(高津氏のFacebookより)。

TOMONORIの第一印象?それは・・・

パイブーン先生を日本に連れてきたのは高津さんなんですよね?

それは、俺から「来てください」とお願いしたわけじゃなくて、親父のほうから来たいって言い出したんですよ。俺としてはタイで親父に習いながら、タイで試合を重ねていきたかった。

でも、OGUNI GYMのほうでもチャイナロン先生の他にもう一人トレーナーがほしいっていう話が持ち上がっていたんです。斉藤会長からも「高津、誰かいないか?」と言われてましたから。そうなると、やっぱり親父しか考えられませんでした。

昨日は斉藤会長にTOMONORI選手との思い出話を伺ってきたんですよ。

そうですか。斉藤会長はどんなことを話したんですか?

まぁ、普通といいますか、褒める話が多かったですかね。

じゃ、俺はそういった話は避けて、彼のボケっぷりについて話したほうがいいかな(笑)。

斉藤会長も、「そういった話は高津君に聞け」って仰ってました(笑)。

俺、TOMONORIのネタは沢山もってますからね(笑)。

早速、TOMONORI選手との出会いからお伺いしていきたいと思います。OGUNI GYMに来たときの第一印象って憶えてますか?

生意気そうな奴が入ってきたなって。小さいし、色黒だし、タトゥーは入ってるし。最初は子供だと思ったんですよ(笑)。

▲ジムメイトとおどけたポーズをとるTOMONORI選手(左)。OGUNI GYMに入門する直前、タイで修行していた二十歳の頃の貴重なショット。高津氏は子供が入門してきたと思ったという。(写真はTOMONORI選手提供)

みんな俺の前蹴りにビックリしていた

そうだったんですね(笑)。で、TOMONORI選手が入ってきたと。当時は高津さんも現役バリバリですから、当然、手合わせをされたでしょう?はじめて対峙したときの印象はどうでしたか?

そうですね・・・、親父にマスをやれって言われたのが最初だったかな。それで初めてマスをやったんですよ。でもね、俺と初めてマスやった人間はみんなビックリするんです。

ビックリする?何故ですか?

俺は「首相撲のソムチャーイ」で知られていたから、首相撲さえ付き合わなければ大丈夫だって思ってた人が多かったんです。だけど、実際にやってみたら前蹴りが上手いから、みんなビックリするんですよ。

TOMONORIもそうだし、藤原あらしもそうでした。前蹴りだけでなんにもさせなかったんです。ホントになんんんにもさせなかった。完璧に翻弄したことを憶えています。

”首相撲のソムチャーイ”が、前蹴りで翻弄したと。

俺の前蹴りは空手の前蹴りとも違うし、キックの前蹴りとも違う。ムエタイの前蹴りは足の裏全体で蹴るんです。あの前蹴りを経験してるかしていないかで、タイ人と戦った時に差が出るんです。だから自慢じゃないけど、TOMONORIにはいい経験させてるんですよ(笑)。

強いと評判だっただけに、落ち込みも大きかったのでは?

落ち込んだ様子はなかったけど、首相撲以外は勝てると思ってたんじゃないですか?その一件があってからですよ、「教えてください」と来るようになったのは。

それに、OGUNI GYMのホームページには選手紹介のページがあって、昔は毎年更新していたんです。そこには尊敬する人を書く項目があるんですが、移籍当初のTOMONORIは、OGUNI GYMとは全然関係のない人物を書いていたんです。その一件があってからですね、OGUNI GYMの面々を書くようになったのは。

ちょっと、TOMONORI選手の戦績表を見ていただけますか。高津さんがセコンドについた試合って多いですよね。インタビュー後編では思い出に残る試合と、それにまつわるエピソードをお聞かせ願いたいのです。

俺だから話せるエピソードが沢山ありますからね。なんでも聞いてください。

ソムチャーイ高津さんのインタビュー後編はこちら>>

【ソムチャーイ高津:プロフィール】1969年6月16日、神奈川県出身。黎明期のシューティングを経て1989年、OGUNI GYMよりプロデビュー。ムエタイ・スタイルでは日本を代表する選手として活躍。小林聡(元WKAムエタイ世界ライト級王者)、佐藤孝也(元NJKFライト級王者)、桜井洋平(元NKB三階級王者)、笛吹丈太郎(元NJKFウェルター級王者)など、錚々たる面々と激闘を繰り広げた。2004年11月23日引退。生涯戦績は66戦23勝(13KO)36敗7分。うち、タイでの戦績は25戦6勝(4KO)19敗。

ジム・道場データ

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山田 タカユキ

1971年生まれ。おもに格闘技イベント「BOUT」に関するレビュー記事や、出場選手へのインタビュー記事を担当。競技経験は空手・キックボクシング、ブラジリアン柔術。