試合中、内臓が破裂しながらも膝をつくことを拒否し、最後まで戦い続けたのは、元WKA世界ライト級王者で「不倒王」の異名をとったキックボクサー・玉城良光氏だが、札幌にもそんな昭和的ガッツを持った若者が現れた。
2014年9月7日に行われた格闘技イベント「BOUT-ZERO」において、内臓が破裂しながらも最後まで立ち続け、関係者の度肝を抜いた水島祐太(チームシャムエボルヴ)だ。
その”不倒王”事件から1年、水島が再起を目指し始動したという。はたして水島とはどんな男なのか。一問一答をお届けする。
――その節は大変でしたね。身体のほうは良くなったのですか?
水島:はい。いまは基礎トレーニングを中心にして、落ちてしまった体力・筋肉を取り戻すことに専念しています。ミットもできるようになりましたし、軽いマス・スパーなら大丈夫ですよ。医者からは復帰はオススメできないとは言われましたけれど(笑)
――”不倒王”事件はショッキングでしたね。
水島:試合中からかなり痛かったんですけど、倒れるわけにはいきませんでしたから。でも病院に搬送されたとき、医者に「あと一日遅かったら死んでたよ」って言われましたね。実際、搬送途中に何件かの病院に断られていましたから、それだけ重症だったみたいです。
――入院中から復帰を決めていたんですか?
水島:いえ、復帰うんぬんは考えていません。手術後は、まともに歩けない状態で、トイレに行くのも一苦労でした。「俺はこのまま生きていくことができるのか」ってことで頭がいっぱいでしたから。
――入院中、支えになったものは?
水島:両親をはじめ、ジムの仲間の励ましですね。身体中に通っていた管がとれて、お腹の痛みが和らぐまでずっと支えてくれましたから。それからですね、「俺、格闘技続けてみようかな」って思ったのは。
――キックボクシングを始めたきっかけは?
水島:もともと体操の選手だったので、力自慢だったし、どんなスポーツもうまくこなせる自信があったんです。格闘技も未経験ですけど、勝手に「俺のほうが強い」って思ったんですね。それで、近くでキックボクシングのジムがあるって聞いたんで、早速体験に行って、その場でスパーリングを申し込んだんです。
――それはちょっとした道場やぶりではありませんか(笑)
水島:そうですね。結局ボッコボコにされて終わったんですが(笑)。でも負けたら勝つまでやらないと気が済まない性格ですから、そのまま入門したわけです。
――しかし、その後はアマチュア大会・KAMINARIMONで大活躍でした。今後はプロ昇格を目指すわけですか?
水島:プロを目指すというか、BOUT-ZEROの雪辱を果たすには、そうするしかないといった感じです。あの試合、判定は引き分けでしたけど、僕の中では負けなんですよ。
――ダウンも取ったのに、なぜ負けたと思ったのですか?
水島:内臓破裂するくらい、まともに蹴りを喰らったこともありますし、ダウンを取ったとき、相手の心を折ることができなかったんですよ。「カンタンには勝たせないぞ」という強固な意志を感じて「ヤバイ」と思いました。悔しかったですね。
だから、もう一度BOUTに挑戦させていただいて、きっちりと決着をつけたいです。そして、これまで支えてくれた仲間の笑顔が見れれば最高ですね。
――わかりました。最後に、”自分の試合のここに注目してほしい”というのがありましたら、お聞かせください。
水島:前に出る”気持ち”を見てください!
――ありがとうございました。今後のご活躍に期待しております。
水島:こちらこそ。ありがとうございました!
写真提供:BOUT実行委員会
photo & text:山田タカユキ
山田 タカユキ
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