北海道ブラジリアン柔術界の父・俵谷実インタビュー:第二部

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北海道・札幌でブラジリアン柔術を伝えて二十年。LEGEND・本間祐輔をムンジアル(ブラジリアン柔術の世界選手権)の決勝へ導いた男・俵谷実氏が、これまでの柔術人生とコーチング哲学を語るロングインタビュー。第二部では幾多の名選手を生み出してきた、俵谷氏のコーチング哲学にスポットをあててお届けする。ブラジリアン柔術の指導者でありながら、他競技の分野でも名選手を生み出す秘密とは?

札幌でブラジリアン柔術を教える先生▲弟子の稽古を見つめる俵谷氏。変化に逸早く気づきケアを怠らない

芦原カラテの修行は、指導者としての修行だった

第一部では、芦原カラテ時代が指導者としての原点だったというお話でした。

結局、空手の修行はイコール指導者としての修行だったんですよね。いかに良い先生になるかという教育を受けてきたわけです。大会の成績うんぬんっていう流派じゃなかったから、クラスに出てくれた会員さんがいかに満足できるかが商売のポイントだった。

なるほど。会員さんをいかに満足させるかという教育をうけてきたと。

そう。結果的にそれが良かったんでしょうね。そのうち、大会に出て勝ちたいっていうグループも出てきたので、試合で勝てる技術を研究して解りやすく教えてあげるようになったんです。試合で勝つことが彼らの”満足”だったわけですから。それが僕の選手育成の原点です。

あの頃、大道塾に行っていたら指導者・俵谷実はいなかったかもしれませんね(笑)

ホントに(笑)。だから総合の試合でもキックの試合でも、こういうルールでこれだけの時間を戦うっていうのがわかっていれば、どういう風にアプローチしたら勝てるようになるかってことを逆算して考えるクセがついてるんですよ。

僕には総合格闘技やキックボクシングの先生はいないけれど、こういう風に練習させて、カリキュラムを組んでやれば勝てるみたいなことを考えるのが楽しかったんですね。

じつは不本意だったプロ・シューター育成

それがバッチリはまって、世界ランカーもバシバシ生み出しました。総合の選手を育てるのも、最初からの目論見だったんですか?

いや、パラエストラ札幌を立ち上げた段階では「僕は柔術だけをやりたいです」と言ったんです。でも、パラエストラは総合格闘技の道場も兼ねてるから総合もやってくれと言われた。

僕は総合やったことなかったし、正直やりたくはなかったけど、山下志功が入ってきちゃったんで、やらざるを得なくなったんです。

山下志功さんといえば、元・修斗世界ライトヘビー級王者の?

はい。その頃、彼は北大の柔道部の主将で大学院にいたんですよ。中井先生の後に続いてプロシューターになりたいと言って、パラエストラ札幌に入会してきた。

当時からゴリゴリに寝技が強いと有名だったので、一緒にトレーニングを始めて、彼をプロ修斗の大会に出したんです。

山下さんは最初からプロ志望で入会してきたんですか?

プロ志望です。もともと才能のある逸材だったので、プロ選手としてモノにできなかったら僕の責任だったんですよ。中井先生から大事な後輩を預かったわけだから、彼を強くしなくちゃいけない。

そこからですね、どう練習したら勝てるのか必死にカリキュラムを考えて、総合の試合にのめり込んでいったのは。結局、プロになって一年くらいした頃かな、強すぎて札幌では練習相手がいないということで東京に送り出したんです。

函館フリーファイトで加藤選手と▲函館フリーファイトで。後列中央が俵谷氏。その左が加藤選手

では、俵谷先生が育てたプロ選手第一号は山下志功さんだったわけですね。

そうです。でもね、山下の場合は柔道の下地があって才能もあったから、正直に言うと育てるのは楽だったんです。寝技のスキルだけでプロまで行っちゃった男ですからね。選手育成で苦労したのは、むしろ山下以降の選手なんです。

要するに平凡な才能の選手を強くするところに苦労があったわけですね。

そういった意味で思い出に残ってるのは、加藤”JET”シンかな。山下の次の世代ではこの加藤と、もうひとり武田憲一がほぼ同時にプロ昇格していますから。

加藤は高校のレスリング部出身で、最初からプロ志望だった。山下ほどの才能ではなかったけど向上心がハンパなかったから、大宮フリーファイトをはじめ、首都圏大会に精力的に出場する機会が多かったんです。その過程で師弟ともども鍛えられましたよね。

関東のレベルをまざまざと見せつけられたわけですね。

はい。でもね、僕の場合は先に試合を見て、そこから逆算して考えるタイプなんですよ。こういう試合展開になるんだったら、こういう練習をしておかないとってフィードバックする。だから、あの時期に首都圏の大会を観戦できたのは有意義でしたね。

俵谷流・逆算の思考法とは

ちょっと待ってください。大会会場では有名ジムの指導者とも顔見知りになりますよね。そういったときに、選手にどんな練習をさせているのか聞かないんですか?

僕の場合は聞かないですね。それに総合の練習方法が確立されていない時期でもあったから、自分たちで考えてやるしかなかったんです。今みたいにアメリカのMMAも無かったし。

逆にアメリカでMMAというスポーツが確立されて、その練習方法が輸入されるようになってきたじゃないですか。でもそれって、当時、僕たちが自分たちで考えて試していた方法と同じなんですよ。そういった出来事も自信になってますよね。

それは興味深いですね。例えばどんな練習方法あったんですか?

当時は首都圏のジムといえども、打撃だけ、寝技だけ、みたいな大雑把なスパーリングしかやっていなかったんです。でも僕の場合はシチュエーション別に細かく分けてやらせていた。

打撃からタックルまでとか、タックルに入った状態から寝技までとか、いわゆるシチュエーション・スパーリングといったものを当時からやらせていたんです。逆算して考えていくと、そういった方法で練習しないと勝てないなって思っていましたから。

他競技、例えば水泳なんかでも同じでしょう。朝から晩まで泳いでれば強くなるってもんじゃない。やっぱり飛び込みだけのドリルがあったり、シチュエーション別に細かいドリルがあるわけです。それと同じですよ。

札幌ブラジリアン柔術・指導風景▲本職はあくまでBJJの指導者。初心者を指導する目は暖かい

当時からパラエストラ札幌の選手の打撃には定評がありましたよね。打撃面でも独自性のある練習をされていたんですか?

そうですね、とにかく大雑把にやるっていうことがなかったんです。打撃のスパーリングでもヘッドギアもつけずに大雑把にやってるところが多かったでしょう、当時は。

わかります。グローブ空手の全日本で優勝するような道場でさえ、マス・スパーという概念がありませんでしたからね。もちろんヘッドギアもつけてなかった。危険な時代でした。

そこをうちではヘッドギア着用を義務付けて、内容もパンチだけ、キックだけ、タックル有り・無しとシチュエーション別に細かく分けて段階的にやっていたんです。僕はアマチュア・ボクシングを勉強した時期もあったから、よその道場みたいにヘッドギアをつけないでスパーすることが不思議でならなかった(笑)。

そういった指導があったからアマ修斗で実績を出すのも早かったし、石澤選手の躍進にもつながったわけですね。

結局、大宮フリーファイトみたいな一日に何十試合もあるような大会で、うちの選手がセミとかメインを張れるまでに育ってくれました。

当時はアマチュア修斗全盛の頃だったからレベルが高かったんです。選手層も厚くて出場選手は必死でした。そういったなかでセミとかメインを任される教え子たちが誇らしかったですね。

今だから明かすスランプの時期

すると逆にプロになってからのほうが、パラエストラ札幌に対する対策が厳しくなってきたんじゃないですか?

その通り。当時からパラエストラ札幌の打撃には定評がありましたから、その打撃を警戒して徹底的に組まれましたよ。寝かされてから殴られるわけ。アマチュアと違ってプロにはパウンドがありますからね。

その”パラ札包囲網”を突破するのに苦労したんですよ。あの頃が指導者としてのスランプだったのかもしれない。加藤の場合もせっかく苦労してプロに昇格させたのに、勝たせてあげることができなかったのが悔しくてね。選手たちに申し訳なかった。

しかし、加藤選手の場合は一敗しかしてないでしょう?負けた相手もUFCで活躍した水垣偉弥選手のはずです。

結局、プロになるまでが時間かかっちゃったでしょう。だから、あの一戦で燃え尽きちゃった。正直、あそこで勝っていればモチベーションは維持できたかもって今でも思いますよ。

でも当時のアマ修斗はレベルが高かった。プロ昇格の最低条件が3位以内に入賞だったし、3位でもプロになれるかどうかわからなかった時代。プロになるまでに時間がかかる時代だったんですよ。

札幌のブラジリアン柔術道場・指導風景▲昼間コースでの指導風景。紳士的かつ理論的なのが俵谷流の特徴だ

プロになった頃には、すでに燃え尽き予備軍だったと。

そう、アマチュアで燃え尽きちゃうパターンも多かったんです。確かにプロ昇格のハードルを高く維持することで、現在の修斗や日本のMMA界があるわけだけど、その影でモチベーションが続かずに潰れていく選手もいたわけです。

そういった意味ではプロに上げるならさっさと上げちゃったほうが、選手寿命といった面ではいいですよ。加藤の場合は「負けたら最後」という覚悟をもって試合に臨む選手だったから、なおさら燃え尽きるのは早かったわけだし。

でも、そのあと一流企業に入社して、今では幸せな家庭を築いているわけだから、あそこで辞めておいて良かったのかもしれないね(笑)。

格闘家の引き際は大切な問題です(笑)。ところで先生、先生ご自身はプロ修斗を修行された経験がないにもかかわらず、世界チャンピオンや世界ランカーを育てていますよね。同じく、ご経験のないキックボクシングの分野でも日本チャンピオンに勝ってしまう選手や、日本ランカーを育てています。これってスゴイよねって話を、業界関係者ともよく話すんですよ。

僕はブラジリアン柔術の指導者ですからね。プロ修斗もキックボクシングも指導者経験はもちろん修行経験もないですから。まぁ、不思議といえば不思議でしょうね。

この人についていって大丈夫?

エベレストに登るのに、登頂経験のない人間をガイドにつけるバカはいませんよね。つまり、選手も不安なんじゃないかと思うんですよ。「本当にこの人の言うとおりにやっていて大丈夫なのか?」とね。その部分をどうクリアして信頼関係を築いていったのでしょうか?

それはね、僕がやれと言ったから選手がやったわけじゃないんですよ。選手がやってみたい、挑戦してみたいと言ったから、僕がお手伝いをしただけの話しなんです。先ほども言ったように、会員さんや選手が満足する場所まで連れていってあげるのが、僕の指導者としての原点ですからね。

だから選手が修斗で勝ちたい、キックで勝ちたいと言えば、僕はそれを可能にするノウハウを必死に考えるし、そういった姿勢に選手が呼応してくれる過程で、信頼関係というものが作られていくんじゃないでしょうか。

本気で頑張っている人の願いを、どうにかして叶えてあげたいと。

指導者としての立場に限らず、基本的にそういった気質なんでしょうね。理想をかかげて頑張っている人の願いを実現させてあげたい。それが僕の仕事であって天命なんだと思っています。

修斗を盛り上げようとしたのも、修斗に思い入れがあったわけじゃないですから。若林さんが普及活動を頑張っているから、その夢を実現させてあげたくて応援しただけなんですよ。

BOUTやPANCRASE札幌大会も同じ。RISEやPANCRASEに思い入れがあるわけじゃない。プロモーターの小堀さんが奮闘しているから、どうにか盛り上げてあげたくて選手を派遣してるわけです。

札幌のブラジリアン柔術家が全日本大会制覇・その祝勝会▲教え子の祝勝会。アットホームなところもパラ札の魅力のひとつだ

「下働き」が僕の本誓なんだと思う

至学館大学レスリング部監督の栄和人氏が某誌のインタビューで、「全身全霊をかけて指導するということは、精神構造だけを抜き出してみれば恋愛と同じだ」と仰っていました。俵谷先生の場合は選手育成に関して、どのような感覚をもってらっしゃいますか?

僕の場合は先ほども話したように、選手が望むか望まないかという部分が大きく関わっているように感じます。一生懸命に願うものに対して還してあげるっていうのかな。

たとえば不動明王は五大明王のトップでありながら、その本誓(ほんぜい:本来の働き)は行者の下働きなんですよ。行者の願いの強さに応じて、下働きに徹することで願いを成就させる。慕って強く願うものに対してご利益で還してあげるというか・・・。

行者の願いが強ければ、神様も大きなものを還してあげられるし、願いが弱ければそれなりのものしか還してあげられない。それと同じで選手の願う気持ちが強いから、僕も大きなものを返してあげられた。僕が育てたように言われるのは光栄だけど、結局は選手自身の実力なんですよ。

つまり指導者というのは上からモノを言うのではなく、下から支えてあげるのが仕事。だから僕も選手が望むことに対しての下働きをしているだけなんです。それが僕の本誓だと思っているし、神の御心に沿う道だと思っています。

札幌ブラジリアン柔術の指導者・俵谷実さん、大好きな不動明王と▲「こんな人間でありたい」と敬う不動明王と。穏やかな表情が印象的

名伯楽が目指すこれからの夢とは?

名選手輩出の秘密がわかったような気がします。第18回ブラジリアン柔術全日本選手権では、先生の道場からも王者が生まれました。いまのお話ですとブラジリアン柔術であっても他競技であっても、根となっている指導哲学は同じと考えてよろしいですね。

そうです。彼も全日本選手権を獲る実力はあった選手なんですが、これまでは組み合わせ運が悪くて獲れなかった。でも、最後は彼の強く願う気持ちが引き寄せたんですよ。僕は下働きをさせてもらっただけの話です。

それに最近、ふたたびブラジリアン柔術にハマッてて、指導方法も変わってきてるんですよ。20年もやってて今さらハマるのも変な話ですけどね。なんていうか、突然いろんなことが解りだしてきたんです。とにかく柔術が楽しくて楽しくてしょうがない。

身体の動かし方とかそういったことですか?

うん。それもあるし、もっと深くて細かいところがね。昔は解らなかったことが、解るようになってきたんですよ。量質転化っていうか、ウェイトでも上がらない時期がしばらく続いて、いきなりガンッと上がる時期がくるじゃないですか。

ちょうどいまが僕の柔術人生の中での転換期なのかなって。特に白帯をどのようにしてレベルアップさせるかっていうメソッドが解ってきて、指導方法も変わってきた。「最近の白帯は強いね」ってよく言われますし、改めて指導する喜びをかみしめていますよ。

指導歴二十年目にして新境地が開けてるわけですね。それでは先生、最後になりますがこれからの夢というか目標がありましたらお聞かせください。

より良い先生になること。

今回は貴重なお話をありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

北海道ブラジリアン柔術界の父・俵谷実インタビュー:第一部はこちらから>>

【俵谷実 プロフィール】札幌市出身。実戦空手「芦原会館」の指導員を経て、中井祐樹氏が立ち上げたパラエストラ・ネットワークに参加。第一号支部としてパラエストラ札幌を立ち上げる。以降、チャンピオン、ランカーを含め幾多の名選手を輩出。指導者実績では道内随一。日本の古流武術をはじめ海外の武術にも造詣が深く、今ハマっているのはフィリピン由来の武術、カリ・シラット。私生活では日本酒などの純和風のものを愛する。最近愛した純和風ものは「シン・ゴジラ」。2005年からつづく稽古ブログは必見。

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山田 タカユキ

山田 タカユキ

1971年生まれ。おもに格闘技イベント「BOUT」に関するレビュー記事や、出場選手へのインタビュー記事を担当。競技経験は空手・キックボクシング、ブラジリアン柔術。愛読書はさいとうたかおの「鬼平犯科帳」。
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