小さな巨人・山本辰弥が激戦の裏舞台を語りつくす! | ノースキングスジム・山本辰弥さん

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インタビュー第13回は、プロ修斗世界ランキング5位の山本辰弥選手にお話をうかがいます。道民に最も愛された”名勝負製造機”が語る激戦の裏舞台!

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プロ昇格は西岡門下で

驚異的なフィジカルを持つ山本選手ですので、柔道かレスリング出身かと思いきや、バックボーンは空手なんですね。

そうです。高校時代に伝統空手の空手部に入部したのが始まりですね。そのあと正道会館の札幌支部に移りました。当時の札幌支部は「他流でやってました」っていう人間はボコボコにされちゃった時代ですから苦労しました(笑)。その頃、ご指導いただいていた土屋先生には現在でも打撃を教わっていますが、今でもお強いですよ。

修斗に転向したのは30歳を過ぎてからだとか。

はい。実は総合格闘技のジムを探しているときに「年下に教わるのはイヤだなぁ」という思いがあったんです。そんなときに出会ったのが、現在、酪農大学で柔術を指導している西岡哲夫さん。当時はパレストラ平岸(現ギムナシオン札幌)と言うジムの代表を務めていたんですが、年上だったんで習いやすかったですね。それに彼の人柄が好きだった(笑)。

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プロに昇格されたのはギムナシオン時代ですか?

正確には現在の宇部先生が指導されているノースキングスジムに統合されていたんですが、プロ昇格まではギムナシオン所属ということにして下さいとお願いしました。それまでに2回プロに挑戦して失敗していたんですが、試合で負けると西岡さんが一緒に号泣してくれるんですよ。そんな熱い人ってなかなかいませんからね。そういった熱意に応えたいっていうのがあって、プロ昇格は「西岡門下」で達成したかったんです。

現在、師事されている宇部先生もかなりの腕前だそうですね。

世界ランカーの僕よりも強いってどういうこっちゃと思いますけどね(笑)。未だに一本とったことないですから・・・。以前、誰もいない道場でひとりで黙々とサンドバッグを叩いている姿を目撃したことがありますが、見えないところで稽古されているんじゃないでしょうか。

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連戦連勝の影に内助の功あり

山本選手の試合会場で、奥様と愛人の女性がニアミスしていたという仰天の情報がネット上を飛び交っていますが、真相をご説明いただければと思います。

なんですかそれは(笑)。嫁の妹さんが石巻市から応援に駆けつけてくれてたんで、妹さんのことをそんな風にいってるんじゃないですか?

愛人はいないと。

当たり前ですよ。愛人なんているわけないでしょう(笑)。僕はそんな器用なことができる男じゃありませんよ。大体なんなんですか、今日の取材の趣旨は?

山本選手の旧悪を暴くというのが今回の趣旨なんです(笑)。

あるわけないでしょ、そんなの。勘弁してくださいよ(笑)。

冗談はさておき、石巻市といえば震災で被害をうけた土地ですね。

はい。義妹を元気づけようっていうと照れくさいんですけど、結果的にすごく喜んでくれてたんで、あの試合は勝てて本当に良かったです。

短期間で続けざまに格上の世界ランカーとの対戦でしたが、ダメージのほうはいかがでしたか?

それほどでもないです。アナーキー選手との試合では顔にアザができたりしてましたけど、急所は外れてましたから深刻なダメージはないです。

ヒートたけし戦は会場が大いに沸きましたね。試合の流れを掴んだアッパーは考えてあった技ですか?

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違うんですよ。後輩の宮腰君がウォームアップのときにやけにアッパーばかりを打たせるんです。そのときの感触が良かったんで、もしかしたらと思って出してみたらドンピシャで入っちゃって・・・。バックチョークへの対策は十分だったんですが、それでもあのパンチがなかったらどうなっていたか分かりません。そういった意味では宮腰君に感謝ですね。

格上の世界ランカーを相手に初の3R制でしたが、気持ちが切れることはなかったですか?

気持ちは切れなかったけどスタミナがね。1ラウンドが終わった時点で「マジかよ」と思いました(笑)。UFCの選手はいつもこんなハードな試合をしてるんだなぁって、いまさらながら痛感しましたね。

判定が告げられた瞬間はどんな気持ちでしたか?

ホッとしたというのが正直なところです。仲間がみんな勝ってくれて、良い流れでバトンを渡してくれましたからね。メインの僕で期待を裏切りたくなかった。欲を言えば一本取りたかったっていうのはありますけど。

山本選手はアナーキー戦までの4年間、一度も負けていません。しかも後半の2試合は格上の世界ランカーを相手に金星を挙げています。この連戦連勝の秘訣はズバリなんでしょうか?

ひとつは親がフィジカルの強い丈夫な身体に生んでくれたということです。もうひとつは嫁さんのサポートでしょうね。嫁さんには食事からなにから全て見てもらってますから。試合前の減量時なんて、一緒に食べないでいてくれるんで、一緒に痩せていくみたいな(笑)ホントありがたいです。

奥様とのなれそめは?

えっ・・・?まぁ、職場が一緒だったって感じですけど・・・。いいじゃないですかそんなことは(照)。

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敗北、そしてこれから

2012年11月の室伏シンヤ戦でついに戦勝がストップしました。

「勝って当たり前」っていう勢いで東京入りしたんですけどね(笑)。室伏兄弟とは相性がいいと思ってたんで(お兄さんの室伏カツヤ選手には対戦して勝利済み)。結果は残念ながら完敗でした。打・投・極全てで完敗。タップした瞬間、こう思ったんです。「これで楽になれるな」って・・・。

連勝を期待されるプレッシャーから開放されるといったことでしょうか?

以前の僕だったら絶対にタップしなかったと思うんですよ。でも、「試合を投げた」ということでは断じてない。これまでの激戦で精神的・肉体的に擦り減った部分があったわけですし、「負けたら最後」というギリギリのラインでやっている以上、必ず訪れる瞬間ていうのかな・・・・。来るべき時が来たということでしょうか。

なんとなくフェードアウトして消えていく選手も多いなかで、リング上できちんと介錯してもらえたというのは格闘家としては幸せのような気もしますが・・・。

うまく言葉にできないんですが、格闘家・山本辰弥として一つの区切りを迎えたことは確かです。

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これで引退されるという意味ですか?

「引退」というと大げさなんですけどね。僕の場合は二人の山本辰弥がいて、一人はプロでやっている以上、ストイックにチャンピオンベルトを狙うモード。こっちの山本辰弥は、このあいだの敗戦で終わったのではないかと感じています。

一戦一戦「負けたら刀を置く」という強い気持ちでやってきたし、実際そうならないとこれまでの戦いが嘘になってしまう。一方で純粋に格闘技を楽しみたい山本辰弥もいるわけです。ベルトは関係なくのびのびと戦える山本辰弥がね。

なるほど。ではこれからも山本選手の勇姿を拝見できるとファンに約束していただけますね。

まあ、僕も社会人ですから仕事や家族の意見もありきなんですけどね。状況が許すのであれば、いつでもいけるように充電はしておくつもりですよ。これまで通り、負けたら最後という気持ちで戦うことに変わりはありません。

楽しみにしています。ありがとうございました。

ありがとうございました。

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【プロフィール】1970年3月30日、稚内市出身。驚異的なフィジカルと一撃必倒の打撃を武器に、破竹の連勝をつづけた名勝負製造機。試合勝利後、リング上から奥様に感謝の意を述べるほどの愛妻家でもある。現在はプロフェッショナル修斗・世界フライ級5位にランクイン。趣味はカメの飼育。ノースキングスジム所属。

ジム・道場データ

Photo & Text:山田タカユキ

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山田 タカユキ

1971年生まれ。おもに格闘技イベント「BOUT」に関するレビュー記事や、出場選手へのインタビュー記事を担当。競技経験は空手・キックボクシング、ブラジリアン柔術。